野尻湖発掘とナウマンゾウ part 1

長野県信濃町にある野尻湖は、ナウマンゾウの化石の発掘地として有名です。

今回は野尻湖ナウマンゾウ博物館の近藤館長から、野尻湖の発掘や地球の気候変動の事まで多岐にわたるお話を聞く事ができました。

是非みなさんも一緒にナウマンゾウを通して、地球の環境の事を学んでいきましょう!

日本にもゾウがいた? ナウマンゾウとは?

ナウマンゾウとは、今からおよそ2万年前まで日本に生息していたゾウの事です。

ナウマンゾウの化石は、明治時代初期に横須賀で発見されたのが最初で、東京帝国大学の地質学教室初代教授であったドイツ人のエドモンド・ナウマン博士により研究・報告されたため、彼の名前を採ってナウマンゾウと名付けられたそうです。

ナウマン博士は日本列島を東西に分断されていた事(フォッサマグナ)を初めて提唱した人物としても有名です。

ナウマンゾウは現在のアジアゾウの近縁とされていて、寒冷な氷河期に適応するため、前身は体毛で覆われていたのではないかと推定されています。

ナウマン象の一番の特徴は、頭の形だそうです。

前から見ると、頭頂部の左右2カ所にまるい高まりがあり、おでこの所が大きく張り出していて、ベレー帽を被っているかのようです。

また牙が発達していて、オスの牙は長いものでは240cmにも達し、さらに外側から内側へ強くねじれるように湾曲している事も特徴のひとつだそうです。

ナウマンゾウ博物館 近藤館長

Q. 野尻湖・ナウマンゾウとの関わったきっかけを教えてください。

A. 私が入った大学の地質学部に野尻湖発掘の事務局があったため、大学生のころから、ずっと野尻湖発掘に携わってきました。

当時は3年に一回の発掘調査でしたが、1年目は発掘、2年目は陸上発掘、3年目は発掘祭りと、毎年野尻湖で何かやっていました。

当時は発掘に参加する方も今の4~5倍、800人とかいたため、スコップを300本用意したりしていました。

私が大学院を卒業する1984年、ナウマンゾウ博物館が開館する事になり、そのまま学芸員として博物館にやってきました。

*野尻湖の発掘調査について

野尻湖で初めてナウマンゾウの化石が発見されたのは1948年のことです。

湖畔で旅館を営む加藤松之助さんがナウマンゾウの臼歯を見つけました。

その後もいくつかの発見が相次ぎ、きちんとした発掘調査が計画されました。

野尻湖の発掘は1962年より行われていますが、小中学生から社会人まで一般の方と専門家が一緒になって市民参加方式で行われている事が特徴であり、誰でも参加する事ができます。

参加者は全国各地より集まります。

参加者は子供も大人も必ず一つは任務を分担し、また発掘後の研究においても参加者はそれぞれ11の専門分野に分かれ、研究を進めていく事が特徴で、野尻湖方式と呼ばれています。

現在、野尻湖の発掘は2年に一度、3月末に行われています。

これは冬季の間、野尻湖の水を使って水力発電が行われるため、水位が下がり湖底が現れるためです。

今までに野尻湖で発見された化石で最も有名なものは、月と星と呼ばれている、ナウマンゾウの牙とヤべオオツノジカのツノが綺麗に並んで発見されたものです。

この配置は人が並べたのではないかとも考えられていて、お祭り・儀式の痕跡ではないかなど様々な推察がされています。

リピーター続出!?野尻湖発掘の魅力とは??

Q. 野尻湖の発掘の特徴と魅力とは何でしょうか?

A. 大抵の発掘というのは、私は様々な発掘現場に行っていますが、偉い人というか指導者のような人がいて、その人が言うようにきっちりとやるもの。

でもここ野尻湖は違うんです。

初心者からベテランまでが一緒になって、よりいいものを作ろうという発想が常にあって、どうやったらもっとうまく回るのかという事を皆さん常に考えて進化していく。

参加者が人から与えられるだけでなく、自分たちも運営に参加して、すごく活き活きと活動しているのが新鮮で、(最初は)とてもびっくりしました。

昔は特に先生や偉い人からの指示で動くのが当たり前だったんですよ。

でも、ここではそうではなくて、子供から大人までが一緒になって、みんなで議論して、何か問題があればみんなで解決策を考えて、乗り越えていく、新しいアイディアを出していくっていうのが常にありました。

(今も変わらず)それが野尻湖発掘の一番の特徴であり、魅力です。

いわゆるモノが出てくる事ももちろん必要なんだけど、発掘そのもののやり方が、小学生でも意見を言えてそれが反映されるんです。

 例えば、以前は100グリッドもあって発掘をしていましたが、(参加者のアイディアで)何かモノが出てきたらどこのグリッドで発見されたのかをすぐに放送するようにしました。

そうしたら、みんなそれを見に集まってくるわけ。

そうすると、よし、こっちも頑張ろうと発掘に意欲が出てくる。

そういったみんなの面白いアイディアがたくさん出て来て、さらに参加者の一体感がでてくる。

(野尻湖発掘では)ワンチームなんですよ、本当に。

人と人との協働による発掘のやり方、それはすごく面白い。

もちろん、いいことばかりじゃなくて、喧々諤々、ミスもあるけれども、でもそれもみんなで考えて乗り越えていく、そこが一番大切かなと思います。

Q. 参加者は経験者が多いのですか?

A. いえ。経験者はほとんどいません。

3分の2くらいは初めての人。

特別な宣伝はしていなくて、HPでの告知と、信濃毎日新聞や発掘の本で告知するくらいですね。

あと、友の会に入るというのが参加の条件なので、そこで事前学習をしてきてもらっています。

発掘に参加すると色々な事が起きます(笑)。

解決しそうでしない事、変な骨が出てきたり…発掘する度に、一体ここで4万年前に何があったのかと。

Q. 何故ナウマンゾウは滅んだのでしょうか?

A. それはいろんな意見があって、まだわかっていないんですけど、野尻湖発掘では絶滅のきっかけになった一つとして、人間の影響があったんではないかという事を証明しようとしています。

ただ、基本的には自然環境がかなり変化していって、ナウマンゾウが生きていけるような環境ではなくなってきたという事は確か。

ただ環境変化というのは、人間がここにはまだいない時代から、40万年~15万年前のころにも何度もあった。

けれども、その時には絶滅していないわけです。

では、最後の環境変化の時に絶滅してしまった理由は、それ以前と何が違ったのか?

人間の出現しか新しいファクターは加わってないんではないかという人がいる。

そうじゃなくて、環境がそれまでとは違ったレベルで劇的に変化したんじゃないかという人もいる。

そこはまだわかっていない。

絶滅というのは一筋縄ではいかなくて、全ての個体がある時パッといなくなるという現象をどう説明するのかというのが一番の問題なんです。

野尻湖人とは? 4万年前の日本に人間はいたのか?日本史を左右する謎に迫る..!

野尻湖では、ナウマンゾウやオオツノジカなどの動物化石とともに、旧石器時代の石器や骨器が数多く出土しています。

特に野尻湖の発掘現場からは多くのナウマンゾウの骨を使った骨器が出土していて、その時代を知るための大変貴重な資料となっています。

また、同じ箇所から、これだけ多くのナウマンゾウの化石が見つかる事は大変珍しく、人類による狩猟・解体場(キルサイト)であったのではないかと考えられています。

ただし、まだ人骨などは見つかっておらず、また狩猟の直接の証拠は未発見のため、どのようにしてナウマンゾウの狩りをしていたのか、どのような人種が住んでいたのかなどは、これからの研究の結果を待たなくてはいけないそうです。

次回の記事では、野尻湖人は本当に存在したのか?そして、ナウマンゾウ博物館の見どころや、将来の野尻湖発掘についてなど、より深く突っ込んだ内容を近藤館長に語って頂いています。

ぜひ下記リンクよりチェックしてみてください。
野尻湖発掘とナウマンゾウ part2